川島 実とは
ネット上に掲載された記事を集めました。
元プロボクサー医師が見つめた震災2年。被災地に芽生えた新たな地域医療の姿とは? 情熱大陸 医師/川島実より

間もなく東日本大震災から2年。あの日津波で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市の病院で、いま新たな医療の姿が根付き始めている。内科や小児科、外科など全てをカバーする『総合診療』と、高齢者の『在宅医療』だ。牽引しているのは38歳の若さで地域唯一の医療機関である本吉病院の院長を務める川島実。震災直後はボランティア医師としてこの地を訪れていた川島だが、被災のショックで医師が次々と辞め、常勤医不在となった病院を立て直すべく2011年気仙沼市の要請で院長に就任した。京大出身で元プロボクサーにして元自給自足農家という一風変わった人生を送ってきた川島が、この地で目指す"理想の医療"の姿とは?

挑戦する医師につながるサイト coffee doctors より

京都大学医学部を卒業後、プロボクサーとして活躍し、29歳で引退した後に医師として働きだしたという異色の経歴を持つ川島 実先生。日本各地で医療経験を積みながら総合診療・在宅医療に力を入れてこられています。
東日本大震災後に院長不在だった宮城県気仙沼市立本吉病院の院長に就任。就任して3年、本吉病院と地域が立ち直っていく姿を見守り、これから自分自身も本吉病院も次のステージへ向かう時だとおっしゃる川島先生にお話を伺いました。
あの当時の悲惨な状況を見て見ぬふりは出来なかった事が一番ですね。当初、所属病院で通常の勤務もしながら、多い時では月に15回病院に通っていました。山形県の酒田市にある自宅から車で片道4時間かけて通うのですが、雪や震災の影響から移動がとても大変で、片手では足りないくらい事故にも遭いました。それでも、あの当時は「地震と津波に襲われた人々を見ながら、そんな事を言っていられない!」と思っていました。
「患者さんは全て仏様」
医師・元プロボクサー 川島実氏 2015年2月27日 中外日報より

得度のきっかけは?
川島母がクリスチャンで宗教にはなじみはありました。東大寺が経営する東大寺学園高に通い、大仏様はずっと身近な存在でした。
得度は、高校の部活の先輩である東大寺の森本公穣さん(清凉院住職、学園常任理事)との縁がきっかけです。東日本大震災後、勤務医が全員辞職した宮城県気仙沼市の病院の院長を頼まれて院内診察に加え、自宅も車も失って通えない人の住まいに伺って在宅医療を始めていました。私の活動を聞いた森本さんが訪ねてこられて、約20年ぶりに再会しました。学園の生徒を引率して何度も被災地に来られましたが、僕はいつも坊主頭で作務衣だったので「その格好なら得度してみないか。仕事の支えにもなる」と誘われました。以前から般若心経の写経もし、亡くなった方に手を合わせることも多く、関心を持ちました。病院のスタッフが育ったことから院長を引退し、奈良に帰ったのを機に、得度しました。
なぜ写経を?
川島始めたのは沖縄での2年間の研修時代で大変なことが重なった時期でした。もともと医学部進学は難関の学部に挑戦したかったから。医者になる思いも強くなく、以前から憧れのあったプロボクサーになりましたが、29歳で引退。和歌山や京都で医者として働き始めましたが、基礎を学び直そうと沖縄の救急病院に臨床研修で入りました。
人間の死が日常となる、恐ろしい救急医療の現場では逃げ出したくなる日々が続きました。幼い子がいながら帰宅できないことが多い上、父方と母方の祖父を相次いで失いました。次第に、亡くなった患者さんなどが夢に出るようになり苦しみました。
法事で般若心経を初めて知り、病院の宿直室などで裏紙に写すようになりました。すると、うなされることがなくなったのです。大きな存在に守られている感じがしたからでしょうか。
死んだ患者さんを医者としてどう感じていますか。
川島ある先輩の医師は、患者さんが死亡すると、必ず頭を下げて謝罪をしていましたが違和感がありました。「死んでしまった人は仏様だから手を合わせるものでは」と思い、必ず合掌しています。
しかし、やがて「患者さんは全て仏様」と思うようになりました。日頃お付き合いしていた人が次々と亡くなっていくのです。通常の感覚では耐えられません。そう思ったのは、自分の心を守るためと思います。七五三まで「子どもは神のうち」と言うように、病気で生と死の境界にいる人たちも同じではないでしょうか。

良い老人ホームとは...「"楽しい"が一番」川島 実さん

特養は「死を待つだけの場所」か?
奈良に引っ越した今も、定期的に気仙沼に通う川島さん。医療相談会にはたくさんのお年寄りも訪れる。
―川島さんが最初に医師として勤務したのは、和歌山県串本町の特別養護老人ホームなんですね。
はい、医療過疎の地域で、1年間、特養の嘱託医をしていました。農業を学びたくて和歌山に行ったのですが、穏やかな土地柄で住みやすいところでしたよ。その特養に自分がいた目的といえば、書類にハンコを押すことだったのかな、と思いますね(笑)。看取りをする嘱託医がいないと、老人ホームの高齢者は救急搬送で病院に運ばれ、そこで死亡確認をしてもらわなければなりませんからね。
―では、その特養は看取りを視野に入れた状態の高齢者が多かったということですか?
多かったです。でも、お元気なおじいちゃん、おばあちゃんもいましたね。両方の方がいるからこそ、どうも、難しくて。
特養は終の棲家で、死を穏やかに待つ場所、というのは事実。その現実を見据えて暮らしていかなくてはならない。しかし、元気な方が多いと「死」が、必要以上にネガティブに見えてしまう部分もあった、といいますかね。「死」はすべての人に訪れるし、自然なもの。だから「死」が存在することも含めて、老人ホームはもう少し楽しい場所でもいいのかな、と思いますね。お元気な方はもちろん、死を待つ方にとっても、楽しいほうがいい。いや、楽しくなければ、と思います。
―楽しいって、どういうことでしょうか?
うーん、それは人によっても違うと思うのですが。
俺が知っている宮城県の小規模多機能は、スタッフが一生懸命でね。寝たきりの死期の迫ったおじいちゃんの部屋で、芝居をしたりして。テンション高くておもしろかったですね。ちゃんと脚本書いて、やってるんです。迫り来る死期を目前にしている人にも、なにか楽しいことを見せたい、と思ってやってたんかな。彼らとは共感できましたね。
❃奈良県が直面する高齢者医療において、医療分野の真の改善に期待できそうです。一方、荒井知事が提案する地域別診療報酬制度は、奈良県の医療サービスの低下を招くだけでなく、雇用にも影響しますので反対しなければなりません。